明治維新
戊辰戦争
- 1867年 王政復古の大号令
- →西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允(桂小五郎)が岩倉具視らの力を借りて発表
- →天領の返還や官位の辞退などを盛り込んだが、幕府側が反発
- 1868年 戊辰戦争
- 鳥羽・伏見の戦い
- 西郷隆盛と勝海舟→江戸城の明け渡し
- 上野寛永寺の彰義隊(上野戦争)
- 秋田藩を除く東北各藩は幕府側として抵抗(1868年奥羽越列藩同盟)→会津白虎隊の悲劇
- 1869年5月 五稜郭にて榎本武揚らが降伏
五箇条の御誓文
- 1868年3月 五箇条の御誓文を発表
- →新政府の方針を発表した
- →市民に対しては、五榜の掲示という形で伝えられた
- 藩閥政治; 薩長土肥が中心に明治政府の運営を行った
廃藩置県
- 1867年 江戸を東京に改名→1868年に首都に
- 1869年 版籍奉還
- →土地(版籍)と人民(戸籍)を朝廷に返す
- 1871〜1879年 廃藩置県
- →藩主を解任し、府知事・県令を任命
- →1879年に沖縄県を設置し、中央集権体制が整う
- 四民平等→皇族、華族(元貴族、大名)、平民(その他)
- 一世一元→天皇1代の間は年号を改めない
富国強兵と文明開化
徴兵令
- 1873年 徴兵令
- →20歳以上の男子に兵役の義務を課した(免除あり)
- →徴兵反対一揆(血税一揆)
- 富国強兵→国を富ませ、強い軍を作る
- 官営工場→富岡製糸場
*元武士の娘が女工として働く
- 官営工場→富岡製糸場
- 国民皆兵→20歳以上の男子全員が対象
地租改正
- 1873年 地租改正
- →地価の3%を現金で納付
- →財源の安定化を図ったが、納税額が逆に高くなった
- →地租改正反対一揆(農民一揆)が発生し2.5%に引き下げた
- 小作人は以前と変わらず、約70%を小作料として地主に払う
→小作人と地主との争いが発生(小作争議)
- 小作人は以前と変わらず、約70%を小作料として地主に払う
文明開化
- 文明開化→民間にも西洋文化が取り入れられて来ること
- 殖産興業→産業を興し発展させる
- お雇い外国人
- モース、ベルツ→東京大学
- クラーク→札幌農学校
- 1872年 学制→小学校を作る
- 1886年 義務教育を4年制に
- 1907年 義務教育を6年制に
生活の変化
- 1872年
- 太陰暦から太陽暦へ
- 新橋横浜間に鉄道が開通(陸蒸気)
- ガス灯の設置
- ラジオ放送の開始
- 断髪→「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」
新しい思想
- 福澤諭吉→「西洋事情」「学問のすゝめ」、慶應義塾大学を設立
- 中江兆民(東洋のルソー)→「社会契約論」の翻訳した「民約訳解」
近代国家の成立
士族の反乱と自由民権運動
- 廃藩置県や徴兵令に対して不満を持つ士族が増加
- →解消案として、西郷隆盛と板垣退助が征韓論を主張したが岩倉具視らに退けられる
*主な征韓論者; 西郷隆盛/板垣退助/後藤象二郎/江藤新平/副島種臣
*主な内治論; 岩倉具視/大久保利通/木戸孝允/伊藤博文 - →二人は政府の要職から退く
- →解消案として、西郷隆盛と板垣退助が征韓論を主張したが岩倉具視らに退けられる
- 西郷隆盛
- 1877年 鹿児島に戻り部下たちと西南戦争へ→敗北し自害
- 板垣退助
- 1874年 言論で戦うため「民撰議院設立の建白書」を発表
- →立志社を中心に愛国社が結成され、日本各地で自由民権運動が活発化
- 1881年
- 国会開設の詔
- 板垣退助が自由党を結成
- 1882年
- 大隈重信が立憲改進党を結成→政府は言論弾圧を強めた
- 岐阜事件で板垣退助が襲撃される
*「板垣死すとも自由は死せず」
- 1884年 秩父事件→貧民救済のため秩父困民党が蜂起
- 1874年 言論で戦うため「民撰議院設立の建白書」を発表
大日本帝国憲法の発布
- 伊藤博文をヨーロッパへ派遣し、西欧憲法を調査
- 1885年 内閣制度
- 1889年 プロシア憲法を参考にした大日本帝国憲法を発布
- <特徴>
1. 天皇君主
2. 君主の権利が強い
- <特徴>
- 1890年2月11日 第一回帝国議会
- 2/11; 建国記念日
- 教育勅語「忠君愛国」
明治時代の文化
科学の発達
- 北里柴三郎→破傷風菌の治療法
- 志賀潔→赤痢菌の発見
- 野口英世→黄熱病の研究
近代文化の成長
- 与謝野晶子→「みだれ髪」「君死にたもうことなかれ」
- 樋口一葉→「たけくらべ」「にごりえ」
- 夏目漱石→「吾輩は猫である」「坊ちゃん」「明暗」
- 石川啄木→「一握の砂」「哀しき玩具」
- 滝廉太郎(作曲家)→「荒城の月」
- 黒田清輝(画家)