問題
次のA〜Dの文を読んで, 後の問に答えなさい.
- A; 政権を取り戻そうと後鳥羽上皇が1221年に起こした争い. 上皇は敗れて隠岐に流された. 争いの後幕府は朝廷や西国の武士の動きを見張るため, 京都に( a )を設置した.
- B; 元のフビライによる服従要求を( b )が拒否したため, 元が博多湾に侵攻してきた戦い. 日本の武士は苦戦したが, 暴風雨などにより撃退することに成功した.
- C; 元はBの戦いの7年後に再度侵攻してきたが, 石塁や幕府軍の善戦により苦戦しているうちに暴風雨に遭い撤退した.
- D; ①足利義政の後継ぎ争いに有力守護大名である細川氏と山名氏の対立が加わり, 11年間続いた争いのこと. この争い以降将軍の権威は全く失われ, ②京都の市街地は荒廃した.
- 問1 空欄aに当てはまる語を答えなさい.
- 問2 Aの争いの後の様子の説明として正しいものを次のア〜エから1つ選び, 記号で答えなさい.
- ア 鎌倉幕府の支配が全国に及んだ.
- イ 朝廷の権威が低下し地頭を任命する力を失った.
- ウ 北条政子が征夷大将軍の地位に就き, 尼将軍と呼ばれるようになった.
- エ 御家人は生活の安定を求めて領地から京都に移住した.
- 問3 Bの戦いを描いた図を見て, 左側の元の兵士と右側の日本の武士の戦い方の違いを30字程度で説明しなさい.
- 問4 空欄bに当てはまる人名として正しいものを次のア〜エから1つ選び, 記号で答えなさい.
- ア 北条時宗 イ 北条義時 ウ 北条時頼 エ 北条泰時
- 問5 Cの戦いの名前を答えなさい.
- 問6 Dの争いに関連する, 後の問に答えなさい.
- (1) 下線①に関連して, 足利義政が建てた建物に見られる, 今日の和風住宅の元になった建築様式の名前として正しいものを次のア〜エから1つ選び, 記号で答えなさい.
- ア 校倉造 イ 書院造 ウ 寝殿造 エ 合掌造
- (2) 下線②に関連して, 京都の荒廃を嘆いた歌として正しいものを次のア〜エから1つ選び, 記号で答えなさい.
- ア 田子の浦ゆ 打ち出でて見ればま白にぞ 富士の高嶺に雪は降りける
- イ なれや知る 都は野辺の夕ひばり あがるを見ても 落つる涙は
- ウ 天の原 ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出し月かも
- エ この世をば わが世とぞ思ふ望月の かけたることも なしと思へば
- (3) Dの争いの頃から盛んに活躍した, 図のように軽装で戦った人々を何といいますか, 答えなさい.
- (4) Dの時代, 京都に300軒以上あった金銭や米を高利で貸す金融業者の名前として正しいものを次のア〜エから1つ選び, 記号で答えなさい.
- ア 馬借 イ 問屋 ウ 棟梁 エ 土倉
- (1) 下線①に関連して, 足利義政が建てた建物に見られる, 今日の和風住宅の元になった建築様式の名前として正しいものを次のア〜エから1つ選び, 記号で答えなさい.
解答解説
- 問1
- 鎌倉幕府は, 承久の乱の後の1221年6月に六波羅探題を設置しました.
- 問2
- A(承久の乱)に勝利した鎌倉幕府は, 勢力を拡大し, その支配が全国に及んだので, アが正解です. イは地頭の任命権限が将軍にあるため不適, ウは北条政子が征夷大将軍になっていないので不適, エは御家人は「一所懸命」で自身の領地を守っていたため不適です.
- 問3
- 図は竹崎季長の活躍を描かせた「蒙古襲来絵巻」で, 当時の武士(日本)は一騎打ちの戦法しか知らなかったため, 元の集団戦法や火薬武器(鉄砲の先駆け)に苦戦しました.
元の兵士は集団で戦ったのに対して, 日本の武士は単騎で戦っている.
- 図は竹崎季長の活躍を描かせた「蒙古襲来絵巻」で, 当時の武士(日本)は一騎打ちの戦法しか知らなかったため, 元の集団戦法や火薬武器(鉄砲の先駆け)に苦戦しました.
- 問4
- 元の服従要求を拒否したのは, 第8代執権の北条時宗なので, アが正解です. イの北条義時は第2代, ウの北条時頼は第5代, エの北条泰時は第3代の執権です.
- 問5
- 元の2度に渡った侵攻を元寇といい, それぞれ, 1274年(1度目)の文永の役, 1281年(2度目)を弘安の役といいます.
- 問6
- (1)
- 室町幕府第8代将軍の足利義政が, 1489年に建立した慈照寺銀閣は, 東求堂に畳が敷き詰められ, 襖で間仕切りをするなど, 書院造で作られているので, イが正解です. アの校倉造(釘などを使わず三角柱の木材を組み合わせる建築方法)で有名なのは, 東大寺の正倉院, ウの寝殿造(寝殿を中心に南の庭に池や築山を設ける建築方法)は平安時代の貴族の住宅様式で, エの合掌造(屋根が合掌のように急勾配になっている建築方法)は, 豪雪地帯である岐阜県の白川郷(世界遺産)などに見られます.
- (2)
- 京都の荒廃を”嘆いた”歌を選ぶので, 涙が落ちているという表現のある, イの飯尾彦六左衛門尉の歌が正解です. アは万葉集にある山部赤人の歌, ウは阿倍仲麻呂(717年に唐へ留学し高官になった)が753年に故郷を偲んだ歌, エは藤原道長が, 威子(三女)が後一条天皇の皇后となる日に詠んだ歌です.
- (3)
- 徒歩で軍役に従事し, 敏捷な動きで徐々に価値を高めていった人々を, 足軽といいます.
- (4)
- 土倉は, 室町時代に繁栄した金融業者で, 高利貸しを営んでいたので, エが正解です. アの馬借は鎌倉・室町時代に年貢の輸送などを行った業者, イの問屋は室町時代の卸売商や中継商, ウの棟梁は武士団のリーダーのことです.
- (1)