第一次世界大戦
日本の参戦
- 1911年 孫文による辛亥革命
- →清が滅び、中華民国が建国される
- ドイツがオーストリアと同盟締結
- ロシアはイギリスと結託しドイツを牽制
→ヨーロッパ世界が緊張状態に - 1914年 オーストリアの皇太子がボスニアのサラエボで暗殺される
- →三国同盟(ドイツ/イタリア(後に連合国側へ寝返る)/オーストリア), トルコ VS 三国協商(イギリス/フランス/ロシア)などの連合軍
- →日本は日英同盟に基づき連合国側として、山東半島や南洋諸島を占領
- 1915年 日本が中国に対して21箇条の要求を行う
- ・日本; 総理大臣大隈重信 ・中国; 袁世凱
大戦景気
- 第一次世界大戦の主な戦場はヨーロッパだったので、本土への被害はなかった
- ヨーロッパの物資不足に乗じて日本の輸出は拡大
- →日本は好景気になり、成金(にわか金持ち)が大量に発生
ベルサイユ条約と国際連盟
- 1917年 レーニンによるロシア十月革命
- →社会主義国家であるソビエト連邦が誕生
- 1918年
- シベリア出兵
- 米騒動
- ドイツが降伏し第一次世界大戦が終戦
- 1919年
- 韓国で三・一独立運動が勃発
- 中国で五・四運動が勃発
- ベルサイユ講和条約
- →ドイツは多額の賠償金を支払い、軍備の制限を課せられた
- →日本はドイツの有していた中国の権益と太平洋の赤道より北のドイツ領の統治を許された
- ドイツ、ワイマール憲法を制定
- →人権規定のある良い憲法であったが、戦争の影響で政治が安定せず適切な運用がなされなかった
- 1920年 アメリカ大統領ウィルソンの提唱により国際連盟(本部; スイスのジュネーブ)が成立
- →新渡戸稲造が国連事務局次長に就任したが、提唱国のアメリカは議会の反対で加盟できず
- →違反国に対しての制裁手段がなかったので組織としては機能しなかった
- 1921年 ワシントン軍縮会議
- 1930年 ロンドン軍縮会議
大正デモクラシーと政党政治
大正デモクラシー
- 1912年(大正元年)〜
- 藩閥政治に対する不満から尾崎行雄や犬養毅が立憲政治を求める
- →護憲運動へ
- 吉野作造が唱えた「民本主義」
- →普通選挙や議会政治の実現を主張
- →大正時代に生まれた民主主義を求める運動として大正デモクラシーと呼ばれる
シベリア出兵と米騒動
- 1918年 シベリア出兵を当て込んだ商人による米の買い占めが発生
- →米の値段の急激な高騰により、富山で米屋や役所を襲い出す
- →米騒動として全国に波及した
政党政治
- 米騒動の責任を取り、寺内正毅内閣が辞職
- 1918年 平民宰相、原敬内閣が誕生
- →立憲政友会所属の議員で構成され、本格的な政党内閣がスタート
- 1920年 第一回メーデー開催
- 1922年 部落差別解消を目的に全国水平社を設立
- 1923年 関東大震災
- 1925年
- 普通選挙法成立→25歳以上の男子に選挙権を与える
- 治安維持法成立→反政府的な活動を取り締まり処罰する
- 女性の政治活動
- 平塚雷鳥→青鞜社
- 市川房枝→婦人参政権獲得期成同盟会
- 小作争議
日中戦争への道
満州事変
- 1929年 アメリカを中心に世界恐慌が発生
- 1931年 柳条湖事件
- →日本軍が満州を支配(満州事変)
- 1932年 清朝最後の皇帝、溥儀を満州国皇帝とする
- →中国からの抗議で、国連がイギリス人リットンを派遣(リットン調査団)
- →満州国を認めない国連決議が採択
- 1933年 日本、国際連盟を脱退
軍部の暴走
- 1932年 五・十五事件
- →満州拡大に消極的な首相犬養毅を海軍の将校たちが暗殺
- 1936年 二・二六事件
- →蔵相高橋是清らを陸軍の将校たちが暗殺
- →以降、軍部の力が強くなっていく
15.3.3 日中戦争
- 1937年 北京郊外で盧溝橋事件が発生
- →日本軍が南京を占領し、日中戦争へ
- 1938年 国家総動員法
- →言論や出版の制限、配給制、政党の統一(大政翼賛会)などが行われた