国の興りと大和朝廷-中学受験社会記述問題その3

中学受験社会

問題

  1. 埼玉県の稲荷山古墳から発見された鉄剣には「この地方の豪族が獲加多支鹵大王に仕えた」とありますが、このことから当時の日本の状況に関してどんなことが分かりますか。「大和朝廷」・「関東地方」という2つの語句を必ず使って書きなさい。
  2. 中大兄皇子や中臣鎌足らが、蘇我氏を倒して始めた新しい国づくりでは、土地や農民が豪族の支配を離れて、どのように変わりましたか。説明しなさい。
  3. 中臣鎌足の子孫は11世紀頃に全盛期を迎えますが、どのような方法で政治の実権を握りましたか。
  4. 桓武天皇は、奈良の平城京から、何故都を移そうとしたのですか。その理由を2つ挙げなさい。
  5. 摂関政治の時代になると、全国に荘園が広がって行き、荘園の持ち主である貴族や寺社は、いくつかの権利を手に入れて行きました。それはどのような権利ですか。2つ挙げて説明しなさい。

模範解答

  1. 大和朝廷の支配が関東地方にまで及んでいた。
  2. 公地公民により、土地や農民が国家(朝廷)のものとされるようになった。
  3. 自分の娘を天皇の后とし、生まれた子が天皇となると、補佐役として摂政・関白の要職に就き、政治の実権を握った。
  4. 律令政治を立て直すため。/仏教勢力の強い奈良から離れるため。
  5. 荘園の税を納めなくてもよい、という不輸の権を手に入れた。/荘園に国司の立ち入りを禁止する、という不入の権を手に入れた。
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