中学受験で頻出の文学史を覚えよう!〜大正詩歌の作家と作品編〜

中学受験国語

耽美派(明治末〜大正)

鷗外の主宰する『スバル』に拠った北原白秋は永井荷風らと共に耽美派の有力な担い手となった。

北原白秋

『明星』から出発した。異国情趣豊かな詩集「邪宗門」、詩集「思い出」などの文語自由詩がある。また、短歌では、歌集「桐の花」がある。

近代詩の完成(大正〜昭和)

白秋門下から出、従来の古典的形式主義を廃し、口語自由詩を近代詩にまで高めた。

萩原朔太郎

詩集「月に吠える」「青猫」など、象徴詩により近代人の孤独を謳い、近代口語自由詩の完成者と云われる。

室生犀星

朔太郎と共に白秋門下。詩集「愛の詩集」「抒情小曲集」などの叙情詩を発表。

独自の詩人(大正〜昭和)

宮沢賢治

何の詩派にも属さず自分の道を進んだ詩人且つ作家。詩集「春と修羅」や、「銀河鉄道の夜」などの童話がある。

白樺派(大正〜昭和)

『白樺』の同人ではないが、高村光太郎が、初め『明星』『スバル』の耽美派から出発しながら『白樺』に接近、人道主義的詩人としての立場を鮮明にした。

高村光太郎

男性的な力と情熱に満ちた理想主義的な第一詩集「道程」を発表した。また昭和に入って亡妻を悼む詩集「智恵子抄」を発表した。

アララギ派(明治〜大正)

「叫び」の伊藤左千夫、「気品と冴え」の長塚節の没後、斎藤茂吉、島木赤彦が『アララギ』を主導した。

斎藤茂吉

伊藤左千夫に師事し、歌集「赤光」「あらたま」などがある。

ホトトギス派(大正期)

当時盛んだった、新傾向俳句・自由律俳句の運動に対し、一時、写生文や小説に没頭していた虚子は、再び俳壇に復帰し、ホトトギス派の勢力を確保した。

高浜虚子

大正二年俳壇に復帰。季語と定型を守った。句集に「虚子句集」などがある。

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