江戸の三大改革
享保の改革
- 1716年 第8代将軍徳川吉宗
主な政策
- 公事方御定書; 裁判の規則
- 目安箱; 一般人の声を聞く
- 青木昆陽のさつまいも研究; 飢饉の対策
- 洋書漢訳輸入; ヨーロッパのキリスト教以外の書物の輸入を許可
- 足高の制; 役職に就いた時だけ給料を上げる
- 上米の制; 大名から米を強制徴収した
- 相対済し令; 金銭の貸し借りによる裁判は受け付けない
成果
ある程度の成果は上げたが、物価の安定はせず
- 1732年 害虫による享保の大飢饉が発生→米の価格が高騰し、各地で打ち壊しや一揆が多発した
- 1745年 徳川吉宗死去
- 1772年 田沼意次の政治
- 印旛沼、手賀沼の干拓
- 賄賂政治
- 株仲間の奨励
- 1782年 冷害による天明の大飢饉が発生
- 1784年 息子の田沼意知が暗殺される
- 1786年 失脚
寛政の改革
- 1787年 老中松平定信
主な政策
- 寛政異学の禁; 朱子学(儒教)以外の学問の禁止
- 帰農令; 農民を国に帰す
- 棄捐令; 旗本と御家人の借金を帳消しにした
- 囲い米の制; 飢饉に向けて米を備蓄
成果
厳しい政策の割に効果は得られず以下のような狂歌が流行った
「白河の清きに魚も棲みかねてもとの濁りの田沼恋しき」
- 1800年 伊能忠敬が全国の測量を開始
- 1808年 間宮林蔵の樺太探検
- 1833年 天保の大飢饉
- 1837年 大塩平八郎の乱
天保の改革
- 1841年 老中水野忠邦
主な政策
- 人返しの法; 農民を国に帰す
- 株仲間の解散
- 上地(知)令; 旗本や御家人の知行地(領地)を取り上げる
外国船の接近
- 1792年
- 林子平が海国兵談の中で幕府の海防を批判し処罰される
- ラクスマン(ロシア船)が根室に来航
- →漂流民の大黒屋光太夫を連れて通商を求めるが日本は拒否する
- 1808年 フェートン号事件
- →イギリス船が長崎に来航しオランダ人を人質に取り、食料を要求した
- 1825年 異国船打払令
- →オランダ・清以外の外国船への砲撃を許可
- 1837年 モリソン号事件
- →アメリカ船が東京、鹿児島で砲撃を受ける
- 1839年 蛮社の獄
- →幕府に批判的な言説を展開した、渡辺崋山(「慎機論」)や高野長英(「戊戌夢物語」)らを処罰した
- 1853年
- ペリー(アメリカ船)が浦賀に来航
- プチャーチン(ロシア船)が長崎に来航
- 1854年 日米和親条約→下田・箱館を開港
- 1858年 ハリスと大老井伊直弼との間で日米修好通商条約が締結される
- →箱館・新潟・神奈川・兵庫・長崎を開港
- →日本側に関税自主権がなく、アメリカ側に治外法権を認めた不平等条約であった
- 輸入; 毛織物、綿織物
- 輸出; 生糸、茶
- 1858年〜1859年 安政の大獄
- →第13代将軍徳川家定の死後、第14代将軍の座を巡り徳川家茂と徳川慶喜で継嗣問題が勃発
- →大老井伊直弼の独断で徳川家茂が第14代将軍になったが、不平等条約締結もあり反対派(橋本左内・吉田松陰)が増加
- →徹底的に処罰
開国から倒幕運動へ
- 1854年 4カ国(アメリカ・オランダ・イギリス・ロシア)と和親条約を締結
- 日露和親条約で北方領土を以下のように規定
- 1. 択捉島と得撫島を境界とする
- 2. 樺太は両国領有
- 日露和親条約で北方領土を以下のように規定
- 1858年 5カ国(アメリカ・オランダ・イギリス・フランス・ロシア)と修好通商条約を締結
- 1862年 生麦事件
- 1863年 薩英戦争
- 1864年
- 四国艦隊下関砲撃事件
- 第一次長州征伐
- 1866年
- 坂本龍馬の活躍により薩長同盟が締結
- 第二次長州征伐→家茂の死により途中で中止
- 第15代将軍に徳川慶喜が就任
- 1867年
- 大政奉還
- 王政復古の大号令→戊辰戦争へ