建武の新政
建武の新政
- 1333年 鎌倉幕府滅亡
- 1334年 後醍醐天皇、天皇中心の政治を行う→建武の新政と呼ばれる
- 足利尊氏は弟の足利直義を鎌倉へ派遣
- 1335年 中先代の乱
- →第14代執権北条高時の子、北条時行が信濃で挙兵し鎌倉へ向かう
- →足利尊氏も鎌倉へ向かい乱を平定後、後醍醐天皇を裏切り京都へ侵攻
- →後醍醐天皇は九州へ敗走
- 1336年 湊川の戦い(@神戸)で楠木正成が敗れる
- →足利尊氏が京都へ進軍し、後醍醐天皇は吉野へ敗走
建武の新政の失敗
- 公家、寺社の領地保護を優先
- →武士に不満が溜まる
- →足利尊氏が挙兵
室町幕府
南北朝の動乱
- 後醍醐天皇VS足利尊氏
- →敗れた後醍醐天皇は奈良の吉野(南朝)へ逃げたため、以後約60年間を南北朝時代と呼ぶ
- 1338年 足利尊氏が征夷大将軍となり室町時代を開く
- →北朝の代表として光明天皇を擁立する
- →守護大名が誕生
花の御所
- 室町幕府の政治の仕組み→鎌倉時代のものを踏襲
- 管領→三管領(細川、斯波、畠山)
- 侍所→四職(京極、山名、赤松、一色)
- 1392年 第3代将軍の足利義満が南北朝を統一する
- →南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に譲位する形で決着
cf.) 北畠親房「神皇正統記」では南朝の正当性を主張していた - →室町に「花の御所」を造る
- →南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に譲位する形で決着
日明貿易
- 倭寇の出現→殆どが日本人だった
- 倭寇の取り締まりと貿易→勘合貿易(日明貿易)
- 輸入; 銅銭(明銭/永楽通宝)、生糸 ・輸出; 刀剣、銅
- 博多の商人→大内氏
- 堺の商人→細川氏
- 琉球王国でも貿易が盛んだった
応仁の乱
農村の変化
- 水車、竜骨車(水を田へ送る)、二毛作、牛馬の使用などが、各地に広がる
- 村の統治
- 寄合→村の代表者による会議
- 惣→村の自治組織
- 鎌倉時代にできた「座(同業者組合)」「問丸(海運)」「馬借(陸運)」が発達
大乱の興り
- 1467年 第8代将軍足利義政(妻は日野富子)の時、後継問題を契機として、応仁の乱が勃発
- 東軍 足利義視(義政の弟)、細川勝元 VS 西軍 足利義尚(義政の子)、山名持豊(宗全)
→約11年間続いた戦禍の結果、京都が焼け野原になり、地方の守護大名が勢力を伸ばし、下剋上の世界となる
cf.) 応仁記に収めれている飯尾彦六左衛門尉常房の句
汝や知る都は野辺の夕雲雀上がるを見ても落つる涙は」 - →こうした経緯から、1477年以降を特に戦国時代と呼ぶ
- 東軍 足利義視(義政の弟)、細川勝元 VS 西軍 足利義尚(義政の子)、山名持豊(宗全)
室町文化
美術芸術
- 第3代将軍足利義満; 北山に鹿苑寺金閣
- 第8代将軍足利義政; 東山に慈照寺銀閣
- 雪舟; 明に留学し水墨画を学ぶ
- 「四季山水図巻」、「天橋立図」
- 狩野派の誕生; 水墨画に大和絵を取り入れる
- 狩野派; 狩野正信を創始者とし、安土桃山時代の狩野永徳の時に最盛期を迎える
- 書院造り; 銀閣東求堂同仁斎
- 違い棚→本棚、花瓶
- 明障子→太陽光
- 枯山水; 龍安寺石庭
庶民の文芸
- 連歌の流行
- 御伽草子「一寸法師」「物臭太郎」
- 能; 観阿弥、世阿弥「風姿花伝」
- 狂言
- 盆踊り
- 祇園祭の復活
戦国時代
下克上の世
- 戦国大名の登場
- 一揆の発生
- 1428年 正長の土一揆@近畿全域
- 土一揆→百姓一揆、徳政一揆
- 1485年 山城の国一揆@京都
- 国一揆→国人(その地域を支配している武士)と百姓が参加
- 1488年 加賀の一向一揆@石川
- 一向一揆→一向宗(浄土真宗)の一揆
- 1428年 正長の土一揆@近畿全域
戦国大名
- 戦国大名は領地で城を築き、城下町を形成
- 分国法(家法)を定めて領民を統治