平氏の滅亡
平氏の全盛期
- 1167年 平清盛が武士として初めて太政大臣になる
- 大輪田泊を修築し日宋貿易を行う
- 宋書倭国伝→讃、珍、済(允恭天皇?)、興(安康天皇?)、武(雄略天皇)
- 厳島神社→平家納経
源平の戦い
- 後白河法皇の呼びかけ→源頼朝が挙兵、源(木曽)義仲が京へ一番乗り
壇ノ浦の戦い
- 1177年 鹿ヶ谷の陰謀
- 1197年 治承3年のクーデター→後白河法皇が幽閉され院政が停止
- 1180年
- 以仁王が挙兵するも失敗
- 石橋山の戦い→源頼朝が伊豆で挙兵するも敗退→安房へ退却
- 富士川の戦い
- 1181年 平清盛死去(64歳)
- 1183年 倶利伽羅峠の戦い→木曾義仲が活躍
- 1184年 一ノ谷の合戦→平忠度が戦死
- 1185年
- 屋島の戦い→那須与一
- 壇ノ浦の戦い→平家滅亡
- 全国に守護・地頭を設置
鎌倉幕府
幕府の仕組み
- 1189年 源頼朝が右近衛大将に→右大将家と呼ばれる
- 1192年 源頼朝が征夷大将軍に→鎌倉に幕府を置く
- 幕府の仕組図
将軍と御家人
- 御恩と奉公の関係→封建制度、一所懸命
武士の生活
- 普段は農業
- 笠懸、流鏑馬、犬追物などの武芸の訓練
農民の生活
- 牛馬、草木灰の使用(施肥法は発達しておらず刈敷だった)
- 近畿地方で二毛作(米、麦)
- 定期市、宋銭
工芸作物
- 荏胡麻
貸金業
- 土倉
- 借上
- 酒屋
北条氏の政治
承久の乱
- 将軍
- 1代 源頼朝
- 2代 源頼家→暗殺
- 3代 源実朝→暗殺
→以降は北条氏の執権政治へ
- 1221年 承久の乱
- 後鳥羽上皇VS北条義時
→北条政子の涙の訴えもあり、後鳥羽上皇は隠岐へ流される
→朝廷と西国を監視するため、六波羅探題を設置
- 後鳥羽上皇VS北条義時
執権政治
- 1232年 3代執権 北条泰時 御成敗式目
元寇
元の襲来
- チンギスハンの孫であるフビライハンがモンゴル帝国を作り、国名を元(首都は大都, 現在の北京)とした。
→日本にも服従勧告を送るが, 8代執権である北条時宗が拒否- 1274年 文永の役→元+高麗軍を退ける
- 1281年 弘安の役→元+高麗+南宋軍を退ける
*蒙古襲来絵詞; 肥後国の御家人であった竹崎季長が元寇での自身の活躍を書かせた(作者不明)
- 元寇の後、北九州に石塁を作り防御を固める(集団戦法+火薬)
*白村江の戦い→水城/朝鮮式山城
*肥後国; 熊本、肥前国; 長崎(江戸時代は天領)&佐賀
幕府の衰え
- 元寇に対する恩賞を与えられず各地の武士の不満が溜まる。
→1297年 永仁の徳政令を出す(初の徳政令)
幕府の滅亡
- 1331年 元弘の変→後醍醐天皇の倒幕が失敗し、隠岐へ流される(後に脱出)
- 1333年 後醍醐天皇が再度出兵し、幕府を倒す
- 京都; 楠木正成
- 六波羅探題; 足利尊氏
- 鎌倉; 新田義貞
鎌倉文化
文学
- 軍記物語
- 平家物語; 作者不明(徒然草では「信濃の前司、行長」が書いたとされる)、琵琶法師
- 源平盛衰記
- 随筆(3代随筆)
- (1001年 枕草子 清少納言 平安時代)
- 1212年 方丈記 鴨長明 鎌倉時代中期
- 1331年 徒然草 吉田兼好 鎌倉時代末期
美術
- 東大寺南大門→源頼朝が修復
- 金剛力士像(仁王)→運慶、快慶
- 円覚寺舎利殿→唐様(禅宗様)
- 絵巻物、肖像画
鎌倉仏教
- 鎌倉六宗;「南無阿弥陀仏」念仏
- 浄土宗(法然)
- 浄土真宗(親鸞)
- 時宗(一遍)
- 臨済宗(栄西)
- 曹洞宗(道元)
- 日蓮宗(日蓮)→「南無妙法蓮華経」題目
- 法華宗