不平等条約改正への道-歴史の総まとめ明治・大正・昭和時代編その8

中学受験社会

問題

  • ①    岩倉使節団の一人に(①)がいました。この人物は薩摩藩出身で、維新の三傑にも数えられ、明治政府の中心的役割を果たしました。
  • ②    岩倉使節団の一人に(②)がいました。この人物は長州藩出身で、維新の三傑にも数えられ、明治政府の中心的役割を果たしました。
  • ③    条約改正に失敗した後も、欧米との交渉は続きました。政府はヨーロッパ風の舞踏会を開くために(③)を建設しました。
  • ④    また、(④)をなくすために外国人の裁判官を採用する案もありましたが、国民の反対で失敗に終わりました。
  • ⑤    不平等条約の改正は、使節団が送られてから20年以上待たねばなりませんでした。その間、国民の間からも、改正を望む声が大きくなりました。1886年にイギリスの(⑤)号が紀伊半島沖に沈んだ時、イギリス人船長が非常に軽い罪になった時も、改正を求める声に拍車がかかりました。
  • ⑥    不平等条約は、まず、イギリスとの間で(⑥)の廃止を認める新しい条約が結ばれることで始まります。
  • ⑦    この新しい条約が結ばれたのは日清戦争が始まる年と同じ(⑦)年のことです。
  • ⑧    この新しい条約は外務大臣の(⑧)の功績が大きくありました。
  • ⑨    (⑨)の回復は日露戦争に勝利した後の1911年のことです。
  • ⑩    この時の外務大臣は(⑩)でした。これで欧米と対等な立場に立つことになります。

解答

  • ①    大久保利通
  • ②    木戸孝允
  • ③    鹿鳴館
  • ④    治外法権
  • ⑤    ノルマントン号事件
  • ⑥    治外法権
  • ⑦    1894年
  • ⑧    陸奥宗光
  • ⑨    関税自主権
  • ⑩    小村寿太郎
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