明治作家と詩
浪漫詩(明治30年代)
雑誌『文学界』を中心に、浪漫詩・叙情詩が生まれた。
島崎藤村
雑誌『文学界』の中心的存在として、自我の解放を目指し、清純な情熱と哀調を託した、七五調の詩集「若菜集」を発表した。後には自然主義作家として活躍する。
土井晩翠
藤村の七五調(古今調)に対して漢詩的な発想に基づく理想的な調べを持つ「天地有情」を発表。
象徴詩(明治30・40年代)
フランス象徴詩を日本に紹介、1930年代の詩壇を代表した。他に「白羊宮」の薄田泣菫や蒲原有明など。
上田敏
『文学界』に属し、訳詩集「海潮音」を発表。フランスの象徴詩を紹介した。
俳句の革新
それまでの月並俳諧を正岡子規が改革。
正岡子規
写生を唱え俳誌『ホトトギス』を主宰、高浜虚子に受け継がれ、長く俳壇の主流となった。
明治作家と短歌
明星派(明治30年代)
与謝野鉄幹の主宰する『明星』により、浪漫的詩集を広め、また、多くの歌人を育てた。
与謝野晶子
明星派の中心歌人として、浪漫短歌の頂点を占めた。その歌集「みだれ髪」は、大胆奔放な官能の解放・青春の讃歌で、世人を驚かせた。
アララギ派(明治30〜40年代)
正岡子規の下、短歌革新に努め、『アララギ』は伊藤左千夫、斎藤茂吉らに受け継がれ、以後、長く歌壇の中心を占めた。
正岡子規
明治31年「歌よみに与ふる書」を発表。万葉精神の尊重と写生を唱えた。
自然主義の短歌(明治40年代)
自然主義文学は詩歌にも大きな影響を与えた。
石川啄木
明星派から、自然主義的作風の歌集「一握の砂」を発表。「哀しき玩具」など、三行書きが特徴である。
若山牧水
歌集「別離」により自然主義の代表歌人となる。